
今まで一人で住んだ部屋に二人で暮らすことになった。当たり前のことだが、二人が幸せなら他のことは小さいことなのである。
ホッと一息ついた私に、またモヤモヤしてくるものがあった。それは子供をつくるかどうかである。データーを見ても聴力のある子が生まれてくる保証はない。子供をつくらない夫婦も知っている。思い切って問いかけてみた。「僕は自分の子供がほしい。もし聞こえない子が生まれても、二人で一生懸命に育てたい」と答えが返ってきた。一言もなく納得した。一年後、女の子が授かった。そして、「絶対に帰郷はしない、東京の人になる」と言っていた息子が帰ってきたいと言う。東京は家族とともに過ごす場所ではないと感じたのか、それとも彼女が母となったので、少しでも郷里に近づきたいと思ったのか。私は賛成した。
平成四年九月、母校の先生のお骨折りで帰郷後の再就職もスムーズにいった。我が家の車でスープの冷めない距離に小さな家を借り親子三人の生活を始めた。
その孫娘もはや三歳になった。言葉がなかなかなくて不安な日々であったが、保育園通いも半年経ったある晩、思いがけず電話を受けた。
「バナナをありがとう」、「じーちゃんは?」、「ありがとう」を繰り返す。それはそれは待ちに待った可愛い声を、しっかりと私は耳にしたすぐそのあと息子からファックスが届いた。「今、電話を初めてかけさせたけれど、どうだった、よくわかりましたか、どんな声をしていますか」。私は原稿用紙に大きな字で返事を送っ
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